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1 望火櫓の古写真等
南東から見た望火櫓その1

南東から見た望火櫓。
右奥に見えるのは所司代堀川屋敷の長屋門

南東から見た望火櫓その2

左とほぼ同じアングルだが季節が異なる。人力車は演出か
隣にある警鐘楼は、緊急の際に突く鐘を釣った建物

昭和5年の望火櫓跡

昭和5年の望火櫓跡
田中緑紅『京の面影』郷土趣味社所収。撮影日は昭和5年9月26日とある

現在の望火櫓跡(南東から)

南東から見た現在の望火櫓跡
明治や昭和5年当時と同じ場所からでは石垣が写らないため、接近して撮影

北東から見た望火櫓

北東から見た望火櫓。
手前にガス灯が見えるので、上の2枚より時代が下る

現在の望火櫓跡(北東から)

北東から見た現在の望火櫓跡
これも古写真はもう少し後方、現在のひまわり幼稚園のあたり
からの撮影だが、石垣が見えるところまで接近して撮影

更に南から見た二条城

参考までに、更に南から見た二条城。この右奥の続きが一番上の上の2枚となる

京都府立総合資料館蔵の「二条城借受定約並本丸返礼一件」より
望火櫓を描いた図面。写真では見えない内側に、
櫓に登る階段があることが分かる



2 千本屋敷・二条城の望火櫓

『再刻改正京町御絵図細見大成』
慶応4年(1868)

望火櫓は御火見として京都所司代千本屋敷の北西隅に描かれており、二条城にはまだない

慶応4年

『京都区分一覧之図、改正、附リ山城八郡丹波三郡』
明治9年(1876)

千本屋敷は懲役場となり、二条城の北東隅に望火櫓がある。

明治9年



3 絵図に見る近代の二条城

絵図名

発行年

二条城と望火櫓

所轄

京都指掌図 文久改正

文久2(1862)

文久2年
望火櫓なし。北西に櫓が描かれている点が不正確

幕府

再刻改正京町御絵図細見大成

慶応4(1868)

慶応4年
望火櫓なし。門や櫓の位置も正確

幕府

京都町組図略小学校兼会所附

明治2(1869)

明治2年
望火櫓の位置に櫓あり。ただし、北西にも櫓が描かれており、全体としては不正確

新政府
(留守官)

京都区分一覧之図、改正、附リ山城八郡丹波三郡

明治9(1876)

明治9年
初めて望火櫓が登場

京都府
(陸軍省)

精撰増補京都詳覧図

明治11(1878)

明治11年
望火櫓の存在感は大きい。望火櫓の文字も入った

京都府
(陸軍省)

京都府区組分細図

明治12(1879)

明治12年
二の丸御殿など、内部も詳細に描かれはじめた

京都府
(陸軍省)

京都区組分細図

明治14(1881)

明治14年 
京都府庁時代最後の絵図。勿論望火櫓はある

京都府
(陸軍省)

改正新板京都区組明細図

明治18(1885)

明治18年
離宮となったが、望火櫓は描かれている

離宮
(宮内省)

改正新刻京都区組分名所新図

明治20(1887)

明治20年
望火櫓がなくなっている

離宮
(宮内省)

10

京都市街新細図改正新刻

明治22(1889)

明治22年
なぜか復活

離宮
(宮内省)

11

改正新刻京都市郡名所新圖

明治23(1890)

明治23年
また消える

離宮
(宮内省)

12

京都明細新図附名所古跡疎水線路細見

明治24(1891)

明治24年
これで消えた?

離宮
(宮内省)

13

改正新刻京都市街新細圖

明治27(1894)

明治27年
また現れた!

離宮
(宮内省)

14

京都府管内全図新町村名京都市街全図各区町名録

明治27(1894)

明治27年
同じ年の絵なのに今度は消えた

離宮
(宮内省)

15

京都市図

明治28(1895)

明治28年
さすがにもう無くなったということか

離宮
(宮内省)

16

改正新刻京都市街新圖

明治32(1899)

明治32年
そのようだ

離宮
(宮内省)

17

京都明細新図

明治36(1903)

明治36年
この期に及んでまさかの復活!どういうこと?

離宮
(宮内省)

18

新版京都地圖

明治38(1905)

明治38年
やはりない。二条離宮が二城離宮になってる。誤植!

離宮
(宮内省)

19

新版京都地圖

明治39(1906)

明治39年
もうないかな?

離宮
(宮内省)

20

京都市明細地図

明治42(1909)

明治42年
さすがに撤去されたようだ

離宮
(宮内省)

21

新版京都地圖

明治44(1911)

明治44年
明治最後の絵図。最後もまた「二城」の誤植

離宮
(宮内省)

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