旧松山藩邸跡にあった日彰校の五層楼。現在は高倉小学校がある。一層目は役場、四層目には太鼓が置かれ、最上層には半鐘が吊るされて望火櫓となっていた。明治25年以降の撮影。
梅屋校の寺院のような望火櫓。豊臣秀吉が愛でた梅があった梅屋敷の跡に小学校を建てたために梅屋校と命名。現在京都第二赤十字病院が建つ。北大路魯山人はここの卒業生。
丸太町通河原町西入ル高島町の高辻家の邸跡にあった春日校。右奥に望火櫓。明治16年撮影。
祇園社から市中を眺めた写真。左に見えるのが弥栄校の望火櫓。明治33年撮影。
大正時代の有済校望火櫓。下京第24番組小学校として古門前通元町に開校。
江戸から明治にかけて、京都の町に林立した望火櫓唯一の現存遺構。登録有形文化財。三条京阪のバスターミナルから撮影。