トップページへ戻る
メルマガ(第124幕)へ戻る


豊国神社の唐門


豊国神社にある国宝の唐門。伏見城にあったと言われているが、詳細は不明。
寛永4年まで二条城に、それから明治8年までの約250年間は金地院にあった。
彩色は剥げているが、鶴か鷺と思われる立体的な彫刻が特徴。
四脚門の屋根は入母屋造。

豊国神社の唐門
豊国神社の唐門(国宝)

一方、現在も二条城にある唐門は重要文化財。
寛永2年建立で、以来390年間ここにある。
彫刻は極彩色が施された一木彫り。
四脚門の屋根は切妻造。

二条城の唐門(重文)
二条城の唐門(重文)


二条城寛永行幸時の絵図

『行幸御殿其外古御建物並当時御有形御建物共』(京都大学図書館蔵)より抜粋。
寛永行幸時の二条城の絵図。二の丸庭園の南に広がる行幸御殿や女院御殿は今はない。
現存の唐門の西、大広間の南に、金地院へ移築された唐門があった。

大広間前

現在の二の丸御殿大広間の南側。
観覧通路になっているこのあたりに、現在は豊国神社にある唐門が立っていた。



金地院の唐門

現在金地院にある唐門(通称「明智門」)。
明治8年に豊国神社に唐門が移築された代わりとして、
明治10年代に大徳寺から移されたもの。

京都府立総合資料館蔵の「豊国社建営一件」。
以下に示すような文書が編てつされている。



寄付の申し込み

明治8年8月20日付けの、明石博高からの唐門寄付の申出書。
この唐門が秀吉の伏見城から二条城、そして金地院へ移ったこと、
金地院にて取り払われることになったために代価にて買い取ったこと、
豊臣氏の遺物であることから豊国神社に移すのがふさわしい旨を述べている。

明石が金地院から買い取った値段の報告書。
2行目に「金 弐拾弐円五拾銭」とある。

豊国神社建造計画時の、付図に描かれていた唐門



inserted by FC2 system