トップページへ戻る
メルマガ(第97幕)へ戻る


二条城の古写真(京都府庁時代 その1)

1) 東南隅櫓から東大手門

東南隅櫓から東大手門を臨む

東南隅櫓の方から、東大手門を臨む。
昔から現在に至るまで、二条城といえばこのアングル。
今でも最も城郭らしい雰囲気が味わえる。




東南隅櫓から東大手門(街灯なし)

堀端に「陸軍管轄地」と書かれた標柱が建つ。
現況とほとんど変わらないが、東大手門の奥から北へ
現在は失われた高塀が延々と続いている。
国際日本文化研究センター所蔵の着色写真。

東南隅櫓から東大手門(街灯なし)

左と同じ時に撮られた写真。
左の写真の人力車の車夫が右隅にかすかに写っており、
代わりに大八車を引いた人物がポーズをとっている。
京都府立総合資料館「矢野家写真資料」所収。

東南隅櫓から東大手門(丸街灯)

上の写真より少し南西からの撮影。
新たに街灯が立っていることから、時代が少し下がる。
右奥に見えるのは京都所司代堀川屋敷の長屋。
横浜開港資料館「The Far East」の1873年(明治6年)3月4日号掲載の写真に着色を施したもの。

東南隅櫓から東大手門(三角街灯)

左とほぼ同じアングルだが街灯の形状が異なる。
国際日本文化研究センター所蔵。タイトルはなぜか「伏見城」。

東南隅櫓から東大手門

少し角度を変えた現況写真。

東南隅櫓から東大手門

街灯の形状は、上の右側と同じ。
『みんなが好きな京都 今昔物語』(新人物往来社)所収。

東南隅櫓から東大手門を臨む

街灯の形状は丸。
「西京」は明治初年の京都の俗称で、東の京の対語。
長崎大学付属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベースより。

東南隅櫓から東大手門(街灯なし)

街灯もなく、一見古そうだが、これは離宮時代の写真。
京都府庁時代の写真の特徴は、城の周囲の高塀の有無。
この写真は現状と同様、東大手門の少し北で切れている。

東南隅櫓と南面の高塀

右の写真の現状写真。
古写真と同じ位置からだと、城が見えない。

東南隅櫓と南面の高塀

東南隅櫓と二の丸南面の高塀。
城の南面、押小路通側を写した写真は珍しい。
大正御大典の際に設けられる南門は、勿論まだない。


2) 東大手門から東南隅櫓

東大手門から東南隅櫓

東大手門から見た東南隅櫓の現状写真。
古写真のもう一つの定番アングル。
古写真は堀川通りから撮影されている。



東大手門から見た東南隅櫓

「京都府」と表題のついた写真。高塀には石落としが見える。
『京都名所撮影』「JAPAN KIYOTOMEISHO PHTOGRAPHER」所収。

東大手門から見た東南隅櫓

左とほぼ同じアングル。沢山の人物が写りこんでいる。
日本古写真アルバム ボードイン・コレクションより。

東大手門から見た東南隅櫓

堀川通りの東側からの写真。
宮内庁図書寮文庫『京都府名勝撮影帖』所収。

東大手門から見た東南隅櫓

堀川通りに一人の人物が佇んでいる。
京都大学附属図書館維新資料画像データベース
『京都維新史跡写真帳』所収。



3) 西南隅櫓


西南隅櫓の現状

現存するもう一つの櫓の現状写真。
右の古写真に写る高塀は櫓のすぐ東(画面奥)で切れている。

西南隅櫓

明治10年1月31日、明治天皇が行幸で
京都府庁(二条城)を訪れた際に撮られた着色写真。
『写真集明治の記憶: 学習院大学所蔵写真』(吉川弘文館)所収。

西南隅櫓の現状

北西側から見た西南隅櫓の現状写真。
東南隅櫓と同様、高塀は櫓の横数メートルのところで切れている。

西南隅櫓

東南隅櫓を写した同じ写真資料と同時期の撮影。
堀の周囲の柵の形状も同じ。
京都府立総合資料館「矢野家写真資料」所収。



 二条城の古写真(京都府庁時代 その2)へ →
inserted by FC2 system