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二条城の古写真(京都府庁時代 その2)

4) 東南隅櫓下の堀について

東南隅櫓から東大手門を臨む

前回紹介した国際日本文化研究センター所蔵の着色写真。
現在は存在する、城の周囲の堀が見えない。

東南隅櫓から東大手門を臨む

左の拡大。石垣のすぐ傍に標柱(陸軍管轄地)があるように見える。
二条城は明治6年(1873)、陸軍の管轄になっている。

東南隅櫓下石垣

大阪府池田師範学校元教諭北岸英雄氏旧蔵写真。明治30年頃か。
上の写真より近づいた場所からの撮影であるため、櫓の直下には
堀が見えないが、東大手門の方には堀が見える。
櫓下の石垣は、上から数えて7段。

東南隅櫓下石垣

上の古写真の現状。
当然だが、石の一つひとつに至るまで全く同じ。
上の写真では、櫓から数えて6段目まで見えているが、
現状では堀に到達するまで石垣は8段。

明治9(1876)の絵図

「京都区分一覧之図、改正、附リ山城八郡丹波三郡」(明治9)より、
二条城(京都府庁)を描いた部分。城の周囲には堀が巡っている。

二条城借受定約並本丸返戻一件の図

京都府総合資料館蔵「二条城借受定約並本丸返戻一件」所収の図。
明治12年に京都府が陸軍省に提出したもの。
こちらにも現在と同じく堀がある。堀幅九間との記載もある。


5) 唐門


唐門

京都府庁と表題のついた写真。奥に見えるのは二の丸御殿車寄。
『京都名所撮影』「JAPAN KIYOTOMEISHO PHTOGRAPHER」所収。

唐門拡大

少し拡大。
唐門脇と奥の車寄脇に提灯が一対ずつ置かれているのが分かる。

唐門更に拡大

更に拡大。車寄には菊の紋の入った幕が張られている。
唐門の装飾には徳川の葵紋が残る。
現状との最大の違いは屋根。明治までは瓦葺きだった。
奥に見える玄関車寄の屋根も瓦葺きだったことが見てとれる。

唐門の現状

現在の唐門。
離宮となった際に、紋は菊に統一されている。屋根は檜皮葺。
二条城は唐門と車寄だけが檜皮葺となっている。



6) 東大手門

東大手門

府庁時代の東大手門。現状とほとんど変わらない。

東大手門の現状

現在の東大手門。昔も今も、ここが二条城の正面入口である。



7) 望火櫓


 望火櫓の古写真


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